The dialy of my trip

近場から海外まで、旅して見たもの食べたもの感じたことを書いていきます。3年お休みしていました。古い記事もありますが、そんな時代もあったなーとみていただければ嬉しいです。

女人堂から女人道へ入る

高野山2日目。
今日の宿、赤松院に朝からチェックインして部屋でのんびりしてたら、お坊さんにたしなめられた。
「早い時間から宿を出たら、高野山の昔の参道を歩けたのにもったいない。時間は戻らないのだから。」
と。確かに、時間は戻らない。
気持ち追いたてられて宿をでた。
一番手近な弁天岳をめぐるハイキングコースに行こう!ということになった。

 

バスで女人堂まで。
ここが高野山の入口。
左側の建物が女人堂。その昔、女の人はここどまりで先に入れない。
明治40年まで、女性は高野山にはいなかったそうで、今ようやく3代目の代。
それまでは、世襲制なんてものがなく、信仰は一代限り。いいのか悪いのか・・・。
イメージ 1

昔、女の人が空海の住む奥の院にお参りに行く時には、高野山の中を通れないので、
山道を遠回りして行ったんだそう。

 

女人堂の前から弁天岳に登る入口があり、さくさくと登ってみる。女人道だ。
まぁまぁハイキングの山道。30分も上ると弁天様が見えてきた。
登りながら、木々の向こうから、なにかスポーツをする声は聞こえ、
鐘の音も聞こえたな~と思ってたら、ここまで来てなんでかわかった。
ふもとには高校があり、金剛峯寺の根本中堂が見える。
イメージ 2

高野山の町を見下ろす場所なんだけど、木々が多くて町がよく見えない。
よくもまぁこんな山奥の山のてっぺんにお寺の町をつくったもんだ。
ここには幼稚園から大学まで教育施設もそろっているし、
(だれが行くのか!?)スナックだってある。
花屋さん、印刷屋さん、着物屋さん、、、ここに必要なものはすべてここで調達できそうな町。
それこそ町のみんなが顔見知り、閉鎖された町ゆえにちょっと怖い気もするけど、安心もあるよね。

 

てっぺんの弁天様を過ぎると下り坂。
寄贈された鳥居が延々と続く。古くてほとんど朽ちてるものもあるから、
時代を感じるというか、ちょっと怖い。ここ肝試しに来たら怖いんだろ~な~。
イメージ 3

アジサイはまだつぼみだったけど、ツツジが咲いていてきれだった。
昔の女の人もこの道を歩いたんだなぁ。
ここを降りると大門。もう一つの高野山への入口へ。

 

2009/05/30 女人道~弁天岳~大門